ドンチキ雑記帳

神大モダン・ドンチキの日々をつらつらと

2019/12/22 バザール・イン・六甲

 ご無沙汰しております。南国どれみです。

 ハチャメチャに遅くなってしまいましたが(大方私の筆が遅いせいです)、昨年12月に行われたバザールイン六甲のご報告です。

 メンバー紹介(2019.12当時)
1回生:つみき、桃桃、鳩羽豆鉄砲(新入部員!)
2回生:藍々、ゆかり
3回生:T、どれみ、けむり

 この日はバザ六最終回ということで、ドンチキ現役生だけでなく卒業されたOB・OGの方々も大勢集まってくださいました。
 ドンチキという活動をつないできた先輩方や現役生、さらにこの日は秋に新しく入ってくれた鳩羽豆鉄砲(はとば まめでっぽう)などもいまして、こんなに様々な年代の人間が集まる機会などなかなかにございませんから。私がドンチキの門戸を叩いたのは丁度三年前の春のことでございましたが、ああ、この活動はこんなにも沢山の人たちと共に出来上がってきたんだなあと引退を直前にして改めて実感いたしました。

 ここからは、私自身の三年間を振り返ってみたいと思います。沢山の先輩方にお世話になったのは勿論のことなのですが、やはり思い出深いのは3回生最後の一年間でした。部員数が前年の約半数に激減するという何よりの課題を抱えた状態でのスタートを切った我々の代は、活動の方針として「生存」することを掲げました。具体的に申しますと、技術や役割の伝達・伝承を今まで以上に積極的に行っていくことを大事にしたということです。
 今回のバザ六も、最初は3回生三人でスタートし最後は1・2回生のみで構成した隊が歩きました。言わば旧世代ドンチキから新世代ドンチキ。上回生のいない隊は少し不安気にスタートいたしましたが、最後まで歩き切り後ろで見ていた私たちも何だか一安心。後輩たちが今後どのように活動していくのか楽しみですね。

 長くなりましたが、この辺でおしまいとさせていただきます。
 三年間を彩ってくれた楽器に着物にドンチキに、それからお世話になった皆さまに、最大級の感謝を。そして、この活動に続く後輩たちが目いっぱい楽しんでそれぞれの三年間を終えてくれたらと思います。

 またいつか、サックス吹きとして隊に参加できたら嬉しいなあなんて。
 ではまた!

 

南国どれみ

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 久しぶりに筆をとらせていただきます。一条けむりです。
 春は桜を背後にアコーディオンを弾き、秋は紅葉を踏みしめ隊を率い、何度も参加させていただいたバザールイン六甲もついに最後。単衣が暑い、着物が寒いとわめいていた日々すらも懐かしく思い出されます。

 しどろもどろの新人の頃、自信が持てなくて現場に対して及び腰だった私にとって、鍛錬を重ねる場がバザ六でした。毎月最終日曜日に開かれるこのイベントは、新しい楽器や新しい曲に挑戦するスタートの場所であり、いつしか安心感に包まれるホームとして、自分の立ち回りを見つめ直す場所になっていました。
 四季が移ろい学年が上がっても、勝手なものですが、バザ六だけはいつまでも続いていくような気がしておりました。今回が最終回ということで、おセンチな気持ちでの参加となりましたが、少しでも華を添えることができていれば幸いです。


 さて、私のほうも、煙のように消えつ現れつしていた三年間でしたが、とうとう引退と相成りました。
 舌の回らない日も指の動かない日もありましたが、現場先でお会いした方々のご厚意に甘え、頼もしいメンバーに助けられ、こうしてドンチキとして現場に出続けることができました。この場を借りて感謝を述べさせていただきます。本当にありがとうございました。

 それでは、どろん…と消えるべきところですが、またお声がかかれば呼ばれようかなと思っております。どこかで見かけたときには、どうぞよろしくお願いいたします。

 

一条けむりf:id:dontiki_chingdong:20200406012848j:plain

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 てんでご無沙汰しております。12月を持って座長を引退しました、河深江院・T・ケニーです。

 この度、ドンチキが長らくお世話になってきたバザール・イン・六甲が12月を持って最終回を迎えました。思えば月に一回、好き勝手できる現場があるというのは大変ありがたいものでした。我々がある程度パフォーマンスの質的な水準を維持できていたのも、バザ六で歩行術の練習、新曲の練習、後輩の実地指導などを行うことができたことによるものが大きいのではないでしょうか。もちろん、骨董市の客としても僕個人、大いに楽しませていただきました。お着物や帯に始まり、パイプタバコやポラロイドなんかも買いました。彼らは腐れ大学生にはまさにお似合いのインテリアとして今なおボロっちい本棚の上に鎮座ましますところであります。

 さて、そんなバザ六が最終回を迎えると共に、実はひっそりと我々三回生連中の出番も最終となっておりました。

 以下はささやかな自分語りです。

 大学に入ってら何かしら音楽をやろう、と心に決めてサークルを探すこと数週間。当初は「軽音サークルでキノコ頭のキーボディストにでもなり、女の子にモテよう」という崇高な理念と明確な目的意識の元にサークルを選んでおりました。が、気がつけばなんとなくドンチキに入り、着たこともない和服を着て、触ったこともない太鼓を叩いていました。

 そこからはあれよあれよという間に体中をチンドンに蝕まれる生活の始まりです。先輩におだてられてすっかり気を良くした僕は練習に足繁く通い、時にプロの御仁に教えを乞い、夏場ともなれば毎週末何処かしらで太鼓を叩く日々で、本分であるところの勉学はバチ袋の底に捨て置かれる有様でした。ざっと数えてみても2年と半年で100弱の現場に出演していたことに今更ながら驚きを隠せません。おかげで女の子にモテるつもりが母親より遥か歳上のご婦人方にしかモテず、高校生の頃はそれなりに弾けたピアノも、今は猫ふんじゃったすら弾けない体たらくです。

 かくして、僕が暗黒に包まれた受験期より構想していた破戒的大学生活はあくまで構想のままで終わったわけです。しかしながら、代わりにおおよそ標準的な大学生には縁のないような珍奇なる活動に手を染め、役に立つんだか立たないんだか分からない経験・知見を得て、得体の知れない関係者諸氏と関わり合いを持つに至ったことは、今持って回顧いたしますと、月並みな言葉ながら誠に面白うございました。今後は陰ながら後輩たちを見守り、よしんば機会がありましたら、卒業までにまた太鼓を背負えればなぁとボンヤリ考えています。 

 今までありがとうございました。今後とも神大モダン・ドンチキを何卒よろしくお願い申し上げます。


 河深江院・T・ケニー

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